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見世物学会近況 坂入尚文
釜の火入れから、寒風の中飴細工を開始するまでには三、四時間の準備を必要とする。正月、川崎大師の商売はおよそ一週間、トイレもないトラックの中で寝起きを断念したのは、ちょうど疫病コロナ発生前年となっていた。それよりかなり昔、川崎大師を終えるとその足で深夜の高速道路を走り西宮恵比須神社に駆けつけて商売しており、その最後は阪神大震災直前となっている。この時は高市(タカマチ)を終え私の好きな大阪のジャンジャン横丁に二泊して、東京に帰り着いて間もなくであったろう。ちょうど私の三寸(祭りの露店)脇の高速道路が崩れ落ちた映像が流れた。
コロナ前年の川崎大師断念からしばらくすると不条理な夢が毎晩続くようになる。
それはいつも違う場所、海であり山であり人気は全くなく、トラックが乗り入れられない細道に行き当たり、その先の様子を見るためにトラックを下り歩き廻るというもので、すると必ずトラックには戻れなくなってしまう。この夢は私を苦しめ、深夜に目覚めると寝汗がひどく、数カ月も過ぎると体重は減少、老いてもまだ五十キロ以上あったものが四十数キロまで落ちて起き上がれない。無理に起きようとすれば目まいが激しく吐き気に見舞われ、布団から這うようしてテーブルまで行き強い酒を割らずに嚥下して、またぞろ布団に這い戻る夜が数カ月も続くと抗禁反応という言葉を思い出した。ちょうどこの頃のこと、入国管理局の牢に入れられた外国人女性が死亡している。
ある見世物屋から聞いた話しがある。その見世物屋は七、八人の大所帯だったが、年間を通して、おそらくは私と同じようにガツ(正月)の商売が終わった後のことだろう、長く家に居ると必ず喧嘩が始まるというもので、高市を追う日々が続くとピタリとそれが治まるという話しだ。すると、このコロナの三年間はさぞかし激しい喧嘩が起きただろうと、思わずニヤリとする程その後私は回復することが出来、空腹さえ覚えるようになった。
長く続いた飴細工の旅は、コロナの前年正月の商売を終えて限界を迎える。それでも旅に出たいという気分は抜けず、気づくとケイタイに手が伸びて北海道のテキヤ仲間に電話しようとしていた。
ところが、ほとんどの場合それは繋がらない。私のように少額の年金にすら入っていない知人たちは、夏の高市時季だけ安いケイタイに加入し、雪の時季は道路除雪にスコップ持って車を追いなんとか冬をしのぐ。そうして、高市の手続きが始まるころにケイタイを手に入れるという話しを幾度か耳にしている。
電話の通じる相手はやり手のヤクザ系が多い。中にはケイタイ三個も持ち、一個は個人用、他の二個は何に使うのだろうか。そういった輩はケイタイを「ツナギ」と呼び、「ツナギ」とは元来犯罪者の隠語なのだから、個人用ではない二台の使い道はおうおうにその見当が付くだろう。
情報筋によれば高市再開の事情はマチマチであり非常に厳しい。
たとえば北海道一の大高札幌(六月十四、十五、十六日)、かつて七、八百本付いた店は本年およそ百四十本。公園内の道路片側だけとなり広場は使用させない。従って興行、オートバイサーカス、お化け屋敷、小物、宇宙遊泳、遊技などは現時点未定となる。
旭川は道路片側のみ。岩内など地方は高市を認めておらず、兄貴分の居た余市は九十本以上を七十五、六本にするなど対応はマチマチとなっている。
思い出すと、私の一番の楽しみ、埼玉県幸手(さって)の花見は正月五日頃に中止が伝えられ、その後に続く福島の花見では、北海道の大判焼きが百五十万を売り上げたと聞く。高市花見に中止、半減などの合理性は全く無い。
五月、文京区千駄木の酒場に学会員が集まり、本年は総会を行うことが決まった。
私ごととなるが、かつてこの店でパリの縁日を企画しながら、山口昌男さんや種村季弘さん、ポルトガルの陸軍中佐などとも酒を酌み交わしたことなどすでに玉手箱を開けてしまった感覚に近しい。
今回千駄木で話し合われたことに、見世物学会は見世物小屋学会ではないということがある。当然ながらこのことは、この学会で見世物小屋を扱わないということではない。見世物小屋を扱う場合、どうしても派手な布絵看板などに目を奪われ、見世物の記号性に向ける眼差しが希薄となってしまう。あるいは時として日常を横切って行く感覚、あるいは記憶、そこに見世物はある。
本年の総会は十一月末頃を予定している。その発表は九月末頃になるだろう。 2022年6月15日
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